見た目のこと
34歳にもなってまだ自分の造作の美醜についてやいやい言うのも幼稚なんだけど、私はうつくしくない。
私は大抵の女の人をうつくしい、その人なりに可愛いと思うほうらしいんだけど*1、それでも自分のことは不器量だなって、どんなに甘い眼で見ても、思う。
なので人に「きれいだね」って、特に三十路をこえてから言われたときのことをふと考えた。
自分ならうつくしい人以外にうつくしいですねって言う場合は、
- きれいに「してる」人
- 派手な人
- お洋服が好きな人
- きれいだと「言われたがっている」人
これって4つ箇条書きにしたけど、ひとつのことかもしれない。
こぎれいにしてきれいなお洋服着て、そうしたら「きれいですね」と言われたかろう、と判断された場合。
だから一昨年くらいから、褒められると言われたがっているように見えるのかな?と思ってしまうようになった。
「(実年齢に)みえな~い」も然り。
―とここまで書いて寝て、朝起きて、そんな大したことじゃねえなって思った。
「きれいですね」も「(実年齢に)みえな~い」も、「今日いい天気だね」「暑いね」「おはよう」と一緒。挨拶!以上!って。
意味を持たそうとすることこそ自意識過剰だなって。
あとtwitterで誰かが呟いていたのだけど、きちんと覚えてないから大意だけど、
「うつくしいですね」って言われて「ありがとう」って返すのは、それを聞いた私がどうせ嘘でしょお世辞でしょと思うのは私の問題であって彼または彼女には関係のないことで、私はその人がそう言ってくれる好意や善意に「ありがとう」と言っている。
とあって、それ素敵だなって思った。
*1:不器量だなと感じたのは、この34年で3人程度だ。